消灯部屋

ショートヘアー

晴れときどき煙

地球上からいっさいの生物が絶滅したとするね。

──いきなり、何さ。

そのとき、それでも夕焼けはなお赤いだろうか。

──何か不気味な色に変わるとでも?

いや、見るものがいなくとも夕焼けは色をもつか、ということ。

──もちろん何か色をもつだろうね。例えば、核戦争のあと、見られることもなく西の空が奇妙な色に染まるとか。だけど、突然どうして?

漠然とした言い方で申し訳ないけど、例えば見ることと見られた対象ないし世界ということで、どうもなんだか釈然としない気分がある。いま、西陽に照らされた雲を見ていて、以前少し考えていたことを君と考えてみたくなったんだ。君はみるものがいなくとも夕焼けは何か色をもつだろうと言ったね。でも、私はもたないと思う。

──どうして。

もし、青と黄の系統しか感知しない生物だけが生き残ったらどうなる?

──そうしたら、なんだ、何色になるんだ?暗い緑に染まるのかな。

そのとき、夕焼けの色は暗い緑だ、と。

──そうなるね。

その生物も死滅したら?

──そうなったら・・・・・・、そうか。そのとき夕焼けの色も「死滅」しちゃうか。もう夕焼けは何色でもなくなる。

色は対象そのものの性質ではなく、むしろ、対象とそれを見るものとの合作とでも言うべきではないか。それゆえ、見るものがいなくなったならば、物は色を失う。世界は本来無色なのであり、色とは自分の視野に現れる性質にほかならない。そう思わないか?

──分かるような気もするけど、なんか、おかしいな。

うん、私もどこかすっきりしない。だが、どこがおかしいのだろう。

──例えば、ぼくが死んだって世界は色を失うわけじゃないよね。

『哲学の謎』 著:野矢茂樹

 

 

素敵な文章に憧れている。素敵な文章が書ける人を尊敬している。僕にとって素敵な文章とは、言葉にするのは難しいけど、例えるならば桜東風のようなもの。温かく体に触れて、しっとりと心に染み渡っていくようなもの。暑さだとか空腹だとか心配事だとか、そういう雑音を忘れてしまうほどに、僕の意識をすっぽりと包み込んでくれるもの。手に触れて心地よいことを手触りが良いと言うのなら、読んで心地よいことを目触りが良いと言いたい。目障りではなく、目触り。心に障らず、心に触れる。それが素敵な文章。

そういう文章には、きっと表現の巧拙とか文法の正確さとかは関係ない。大事なのは、心の一番深く、泉を写し取ること。底から溢れ出る何かを、どこまで純化して外に取り出せるか。それだけだ。

だから今回は、あれこれと文章を捏ねくり回すのはもうやめて、泉から出るものをなるべくそのままの形で言葉にしよう。

 

この文章を書いている今は10月10日の午前3時。ただ深夜の感傷だけが筆を走らせている。

スマホで書いてるんだから筆じゃなくて指だろ、と野暮なことを考えたりもした。

 

 

 

世界は不思議で満ちている、と常々思う。僕らの生活を一歩引いて見てみれば、日常は超常に溢れている。もし本当に神様が居て、こんな不思議だらけの世界をたった7日間で作り上げたのなら、奴は相当な変人に違いない。もう少し時間を掛けて慎重に作っても良かったんじゃないかと責めたくもなる。そうすれば、僕らももう少し不合理や不可解に悩まずに生きられたかもしれないのに。

多分この世界の不思議の数々は、せっかち過ぎる神様が創った巨大な作品群だ。軽率でどうしようもない奴の忘れ形見。そして、不思議はただ不思議であるというそれだけで、人の心を惹きつける。

 

 

空は僕らに最も身近な不思議のひとつだ。僕らはもうだいぶ生きたせいで見慣れてしまったけれど、もう特別に思うことも少なくなってしまったけれど、僕らの生きる世界の天井がこんなにも彩りを持っていて、しかも日によって時によって全く姿を変えてしまうものだなんて、まさに不思議としか言い様がない。朝方の空は透き通るような青、夕暮れは寂寥的な橙、夜はどこか支配的な黒。一日の中で空はこんなにも姿を変える。しかも空は雲っていうアクセサリーで自分を好きに着飾っていて、それもまた移動するし形も変わるから、もう意味がわからない。同じ川に二度入ることは出来ない、と昔の偉い人が言っていたけど、同じ空を見ることもまた、二度目は無いのだろう。

それにしても、どういう頭をしていたら、こんな奇想天外なものを思い付くのだろう。仮にあなたが世界創生前の神様で、この世界に住む生き物たちの天井は色が変わるものにしよう、だなんて言い出したら、僕はきっとびっくりしてしまう。まあ神様の頭の中はそれこそ人の身には語りえぬものなんだろうけど、案外せっかちな奴のことだから、何も考えずに数種類の絵の具の中から適当にスプーンで掬って空の色を決めたのかもしれない。神様の匙加減と、それを見る僕らの意識によって、空は色を与えられた。

 

 

 

 

僕らの天井は水を落とす。

人は詩や歌の中で雨を涙と表現することがしばしばある。「空の涙」だとか、「泣きだしそうな空」だとか。空は果たして泣くだろうか。

僕はたまに、雨は涙なんかよりもっとおぞましいものに思えることがある。空、天蓋、世界の天井。世界が泣くはずなんかない。だって苦しくて泣くのはいつだって僕らの方じゃないか。世界は苦しめる側であって泣く側ではない。そう、涙じゃないなら、きっと涎だ。雨は神様というやつが空から涎を垂らしているみたいだ。いつ食べてやろうかと僕らを見下ろしながら、口を開けてその時を待っている。散々苦しめて泣かせて、最後にぱくり。神様め、なんてやつだ。

 

そういえばどこかのバンドも神様を悪人だと歌っていたな。涎が降ったら傘を差そう。あまざらしにならないように。

 

 

 


ふと窓の外を見ると、だいぶ空が白んできた。すぐそこまで朝が来ている。夜の帳に覆われた僕ひとりだけの時間がもうすぐ終わる。世界はまたここから活気を取り戻すのだろう。僕は窓を開けて煙草を吸いながら、空を見上げた。綺麗な秋晴れの空だ。

口から吐いた煙草の煙が昇っていって空に溶ける。それを見て僕は、まるで煙が雲の一部になってしまったようだと思った。

 

今日の天気は、晴れときどき煙。